パパのスクラップブック

Nov 21 2008
当時の内閣総理大臣山本権兵衛は摂政である皇太子に即刻辞表を提出した。それを受けた皇太子は12月29日に山本を慰留したが、山本の決意は変わらず、1月7日に総辞職は認められた。また、当日の警護責任を取り、警視総監湯浅倉平と警視庁警務部長の正力松太郎が懲戒免官になった。難波の出身地であった山口県の県知事に対して2ヶ月間の2割減俸、途中難波が立ち寄ったとされる京都府の府知事は譴責処分となった。また、難波の郷里の全ての村々は正月行事を取り止め喪に服し、難波が卒業した小学校の校長と担任は教育責任を取り辞職した。 難波大助の生家 庚申倶楽部に所属していた衆議院議員の父・難波作之進は報を受けるやただちに辞表を提出し、閉門の様式に従って自宅の門を青竹で結び家の一室に蟄居し、餓死自殺した。長兄は勤めていた鉱業会社を退職した。なお、難波の処刑後、皇太子は「家族の更生に配慮せよ」と側近に語った。

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